2018年09月27日

城まにあ 岐阜県岐阜市 彦坂城

岐阜市に彦坂城という城があったそうです。

1966年に大類伸 氏が著した「日本城郭全集7」には、旧高富線高富の西側と書かれています。
場所的には岐阜市に彦坂という地名があり、そこに若宮八幡神社があり、周辺に集落があります
おそらくこの集落の中だったのではないでしょうか

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若宮八幡神社

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1991年、愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会が編纂した「角川日本姓氏歴史人物大辞典」によると、彦坂城は清和源氏満政流の流れで浦野太郎重直の子・浦野蔵人重親が築城し、彦坂氏を称したたそうです。

重親の後、承聖→重源→重光と続き、重光より3代子孫の孫左衛門宗重は、親鸞の弟子となって下間氏を称したそうです

その後、九兵衛重久が今川氏に仕え山田意久と称した後、姓を彦坂に戻しましたが、彦坂意久は今川義元が織田信秀(信長の父)に大敗した田原合戦で討死しました。

その子・彦坂成光は現在の田原町に移り住み、本多広季(徳川家康家臣・田原城主)に属し、その子・彦坂光正は長久手の戦いで戦功を挙げ、後に駿府町奉行となったそうです。
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2018年06月28日

城まにあ 岐阜県大垣市 今宿城

大垣市今宿、加賀野との境の線路付近にかつて「今宿城」という城があったそうです


昭和60年に清水春一氏が著した「大垣の古城」によると、この城は「加賀野城」を攻めるための前進基地として築城されたと言います

三塚城主・種田信濃守兼久の弟で種田助ノ丞正元が城主だったそうです
しかし、元亀2年(1571)兄と共に氏家卜全に従い、長嶋一向一揆攻めに参加したが敗れ、殿軍を務めた卜全・兼久と共に戦死したとあります

現在の場所には遺構はありませんが「福勝寺」のあたりではなかったかといわれています

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2018年03月16日

城まにあ 岐阜県岐阜市 土居城

岐阜市の北部 環状線沿いに上土居・下土居という地名があります。このあたりにかつて「土居城」という城があったそうです。

土居城のあったと言われている場所は
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現在、環状線沿いにあるユニクロさんや

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そのそばにある公園のあたりです

HP土岐氏調査・研究ノートによると

土居城は観応2年(1351)土岐光定の孫・土居宮内少輔直氏が築城したようです
鎌倉時代より土岐家には伊予(愛媛県)に所領があり、土岐光定の子・土岐頼清が現地に赴いて管理等をしていたようです。その際三男の直氏は伊予・大野(土居)直利の養子となり大野(土居)直氏と名乗りました

元享4年(1324)土岐頼清が病死後、第2代美濃国守護・土岐弾正少輔頼遠が康永元年(1341)に光厳上皇の牛車に矢を射かけた罪で刑死すると、頼清の子・土岐頼康が守護になります。観応元年(1350)美濃国内は頼康の守護就任に反対の土岐一族との戦いである周済の乱が発生し不安定でした。なので、土岐頼康が川手城を築き長森城から守護所を移すと、守護所を守る支城として観応2年(1351)土居(大野)宮内少輔直氏が土居城を築いたようです。

その後、土居直氏は足利義詮のもとで幕府直臣として活躍
延文3年(1358)伊予国司に叙任
延文5年(1360)幕府の命で3千余騎を率いて尾張小川城の小川中務丞を討ち取る
同年、伊予守・伊予守護に任じられました

しかし、その子・土居詮直は康応2年(1390)土岐康行の乱で康行と共に挙兵するも敗れます。
その後、応永6年(1399)大内義弘と呼応し、長森城に立て籠もって謀反を起こすも土岐頼益に攻められ打ち取られてしまいました(応永の乱)

寛正3年(1462)土岐成頼の口利きで日野等四家をして通繁・繁直兄弟を土居城主にして家名を再興させたようです

その後は土岐氏の跡目争いである船田合戦で石丸方の杉山光俊が陣として使用

船田合戦で土岐政房方に土居頼直、斎藤道三と斎藤義龍が戦った長良川の戦いでは斎藤義龍方に土居光宣、織田信長の家臣に土居長頼の名があるので、家名は受け継がれていったようですね。
posted by 塩谷建設株式会社 at 11:44| Comment(2) | 岐阜県岐阜市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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