2016年08月13日

城まにあ 岐阜県本巣市 根尾城

薄墨桜で有名な岐阜県本巣市根尾
ここにある根尾小学校の北にある大領神社、その奥にある山にかつて根尾城という城がありました

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大領神社


1992年に林春樹氏が編集した「図説美濃の城」や平成8年に旧根尾村が編集した「根尾村史」によると、
南北朝時代の初期、新田義貞が北国に軍を進め越前で戦っているとき、美濃から越前への北朝軍の侵入を防ぎ物資補給路の確保の為、重臣・堀口貞満を根尾に送りました。

しかし、延元三年(1338)平泉門徒宗の裏切りで越前の戦況は不利になり、とうとう藤島の戦い新田義貞が討死してしまうと、義貞の弟・脇屋義助の奮戦むなしく越前から撤退を余儀なくされます

脇屋義助
は息子・脇屋義治と来援中の根尾氏・徳山氏・山岸氏・山本氏・伊自良氏らと共に根尾谷に入ります。そして根尾谷の天険を利用して一大要塞を築き拠点として北朝に対抗することが軍議で決まり、興国元年(1340)根尾員氏が根尾城を築きました。

こうして根尾城を拠点として根尾谷下流には、下長瀬・長瀬・岐礼・伊野・高科・金原の各砦、上流には宇津志・高尾・板所の諸城、後方に長嶺・徳上の城を配して谷全体を要塞化します

興国二年(1341)この動きを知った美濃国守護・土岐頼遠土岐頼康と共に大軍を率いて討伐に向かいます。土岐軍は長瀬・岐礼・伊野(谷汲村)・高科(旧・本巣町)・宇津志城を次々と突破して本城に迫り、高尾・坂所砦も落して本城に攻めかかりました。

山麓を包囲した土岐勢が下の城(根尾城は山上部と下部2箇所に城郭があったようで、上部を上の城、下部を下の城とよんだようです)に攻めかかると、城兵も奮戦しますが多勢に無勢、次々に新手を繰り出されて日没前には落城寸前になります。そこで南朝側は夜中にゲリラ攻撃を続けながら上の城まで撤退。翌日、上の城の攻撃が始まると城兵は奮戦し、特に根尾入道は中の曲輪に寄せる敵を何度も阻止したがついに討死した。

そして連日の攻撃に力尽き、根尾城は落城、脇屋義助は尾張へ落ちていったそうです。
posted by 塩谷建設株式会社 at 19:11| Comment(0) | 岐阜県本巣市・本巣郡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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