2016年10月18日

城まにあ 岐阜県本巣市 長嶺城

岐阜県本巣市根尾長嶺地区の県道157号線から少し入った場所に 
素盞鳴(スサノオ)神社があります

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素盞鳴(スサノオ)神社

ここは南北朝時代、南朝側の城があったそうです

平成8年に 旧・根尾村が発行した「根尾村史」によると
延元元年(1336)越前国(現・福井県嶺北地方)で戦っていた南朝側の有力武将・新田義貞が根尾谷(岐阜県本巣市)の戦略的重要性を考え、重臣・堀口貞義・貞満父子を派遣し根尾谷を要塞化しました
その際、地元の豪族・山岸新左衛門に作らせたのが長嶺城です

長嶺城は越前や美濃・徳山(旧・徳山村 現・藤橋村)とのつなぎの場として、又、根尾南朝方の搦手詰城(として谷の最奥地に築かれ、戦略的拠点として重要な城でした。

興国二年(1341)室町幕府美濃国守護・土岐頼遠による根尾城攻めの際落城しました

比較的小さな山城だったようです

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長嶺城址の素盞鳴(スサノオ)神社には大きなご神木が生えています

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大きくはありませんが、立派な神社です
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2016年10月08日

城まにあ 岐阜県本巣市 板所城

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樽見鉄道の終点・樽見駅

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その東にある急峻な山の上に、朝廷が南北に分かれて争っていた延元元年(1336)南朝側の有力武将・新田義貞により派遣された重臣・堀口貞義・貞満父子のよって宇津志城・高尾城の支城として「板所城」が築城されました

板所城は堀口氏の居城である宇津志城・高尾城の両城と最北の長嶺城との中間にあり、補給・連絡通信の中継点として、また、方県方面からの交通路が交わる要点でした。そして、興国元年(1340)に美濃南朝側の拠点として根尾城が築かれると対の城として戦略上の重要性も高まりました

興国二年(1341)北朝側の美濃国守護・土岐頼遠のよる根尾城攻めの際落城、そのまま廃城となりました

昭和18年 太平洋戦争中に曲輪跡に防空監視棟が設けられたそうです

県下では珍しい「畝掘」があることでも有名
※畝堀・・・何本か並んだ横堀と横堀の間を畑の畝のように盛上げてある堀


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2016年10月05日

城まにあ 岐阜県本巣市 軽海東城


1966年に大類 伸 氏が編集した「日本城郭大全集7」によると、古くは加留美長勝が居城としたようです
又、朝倉義景の十二代前の祖・朝倉太郎大夫高清が在城したとも伝えられています

康暦(コウリャク・1379〜1381)の頃より稲葉七郎通高が在城し、のちに安藤五左衛門守宗(安藤伊賀守の弟)が守ったが、元亀元年(1571)に石津郡太田で長島一向一揆征伐の際、氏家卜全と共に戦死したそうです

軽海東城の場所ははっきりとは分かっていないようですが、本巣市教育委員会に聞いてみたところ、旧・真正町役場(現在の本巣市役所真正分庁舎)を南にまっすぐ言ったとことにある軽海神社から室町時代の武家食器が出土したそうなので、おそらくこの周辺だったのではないでしょうか

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軽海神社

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軽海神社の石碑にも軽海東城城主として加留美長勝の名前が書かれています

軽海神社のすぐ西側には軽海西城址があり、おそらく隣接した城屋敷であったのではないかと思います
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