素盞鳴(スサノオ)神社があります

素盞鳴(スサノオ)神社
ここは南北朝時代、南朝側の城があったそうです
平成8年に 旧・根尾村が発行した「根尾村史」によると
延元元年(1336)越前国(現・福井県嶺北地方)で戦っていた南朝側の有力武将・新田義貞が根尾谷(岐阜県本巣市)の戦略的重要性を考え、重臣・堀口貞義・貞満父子を派遣し根尾谷を要塞化しました
その際、地元の豪族・山岸新左衛門に作らせたのが長嶺城です
長嶺城は越前や美濃・徳山(旧・徳山村 現・藤橋村)とのつなぎの場として、又、根尾南朝方の搦手詰城(として谷の最奥地に築かれ、戦略的拠点として重要な城でした。
興国二年(1341)室町幕府美濃国守護・土岐頼遠による根尾城攻めの際落城しました
比較的小さな山城だったようです

長嶺城址の素盞鳴(スサノオ)神社には大きなご神木が生えています

大きくはありませんが、立派な神社です