2016年11月29日

城まにあ 岐阜県本巣市 神所城

岐阜県本巣市神所にある本巣市立根尾中学校を

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少し南に進んだ国道157号線沿い東側の擁壁に階段があります

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その階段を登ると・・・

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そこには神所城址の碑があります

平成8年に旧・根尾村が編纂した「根尾村史」によりますと
 朝廷が南北に分かれて争った南北朝時代、南朝側の有力豪族だった根尾氏は地盤だったこの地に興国元年(1340)根尾城を築き、北朝側の土岐頼遠と戦うなど勢力を誇示していました。
 しかし、天文末期から弘治年間(1555年頃)にかけて根尾氏は勢力を弱め、地方の小豪族となってしまいます。兵力も少なくなった根尾氏には、戦法も昔と変わってきたこともあって根尾城が手に余るものとなってしまいました。
 そのため、越前街道を厄する神所の春日神社西南の小山を利用して、小規模な城を構えました。これが神所城なのです。神所城は詰城であり、普段は大井の殿屋敷に居たようです

 地元の小豪族になった根尾氏は、天正年間(1573〜1593)は織田信長の勢力下にいたようで、天正2年(1574)織田信長が石山本願寺攻めの際根尾氏に対し、越前街道を経由する大阪方面のへの物資輸送の阻止を通達しています。また、天正3年(1575)には金森長近・原彦治郎長頼らの一向一揆討伐隊に参加したようです。
 織田信長死後起った賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家の北国勢に参加したとあり、戦後は金森長近の配下になったようです。江戸時代初期の城郭図中に300石の根尾隼人を始め、根尾左門・根尾主膳・根尾小兵の名があります。

さらに、元文3年(1738)に著された「百茎根」(美濃明細記)には
   根尾右京之亮 神所寺谷に住む
    嫡子  島右京  神所に移り住み高山に落つ
    二男  林出羽  神所中屋敷に住み徳山に移りて死す
    三男  中村内蔵 中村に住し、市場村に移り落去り後、金森法印に仕う
    四男? 根尾和泉 神所今村に住み、兄・出羽を討取る
 二男・林出羽を殺した根尾和泉は、徳山から攻めてきた出羽の子孫と今村・尾崎の城で戦ったとありますが、勝敗は不明です
しかし、この戦いのあと、根尾和泉は根尾で居場所を失い京都で死んだとあります

三男・中村内蔵が仕えた金森法印とは金森長近のことなので、賤ヶ岳の戦いのあった天正11年(1583)の少しあとに起こった内紛の様子を記録しているのでしょうか?


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 神所城址の碑の後ろにさらに階段があり

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その上の少し開けた場所に出れます
ここに城郭があったのでしょうか

地元の有力豪族・根尾氏の居城 歴史の風を感じますね〜 





posted by 塩谷建設株式会社 at 18:08| Comment(0) | 岐阜県本巣市・本巣郡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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