2017年01月24日

城まにあ 岐阜県岐阜市 改田城(開田城)

岐阜市の西部、長良川を北に渡って東西に流れる伊自良川・板屋川を西に渡ると七郷小学校があります。そのあたりを改田というのですが、そこにはかつて美濃源氏の庶流・開田氏の居城・開田城(改田城)があったそうです

七郷小学校「ふるさと七郷」編集委員会が昭和50年に編集した「ふるさと七郷」によると、開田城は源氏の祖となった源経基の子・源満政の子孫で美濃国木田に所領を持ち木田姓を名乗った木田三郎重長の子・重国が、現在の改田に所領を持ち、開田氏を名乗ったのが始まりのようです

開田重国は承久3年(1221)の承久の乱で上皇側につき、宇治川の戦い(一説には大豆渡の戦いで討死)で息子・開田重知と共に討死してしまいます。
その後は、重知の子・木田次郎重用が継いで開田を名乗り、重用の後、開田次郎太郎国用→開田又二郎義重→開田彦太郎義国→開田次郎太郎義宗と続いたようです
しかし、開田国用の頃から現在の一宮市木曽川町に割田城を築城して移転したようです

もしかしたら承久の乱の影響かもしれませんね〜


肝心の開田城の場所なんですが、例によって解っていません
改田には鎌倉〜室町時代の遺跡が二つあり、東改田再勝遺跡と西改田宮西遺跡と言うのですが、この二つのどちらかだと思います

開田氏は源氏なので、城付近には八幡神社があるはず! しかしどこにもありません
しかし、文献によると、西改田にある若江神社はかつて若宮八幡宮と呼ばれていたそうです。明治5年(1872)に郷社となった際、若江神社と改称したそうです。

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若江神社

しかも、もともとは西1kmの地点にあったのですが、洪水の為に現在の地点に移転されたそうです。
現在の地点から西に1kmというと西改田宮西遺跡です!

なるほどと思って、若江神社の写真をとっていると、地元の方にお話を伺う機会をえました。
その方によると、若宮八幡宮は現在の西改田若宮にあって、それが現在の位置に流されたそうです。若宮八幡宮があったので若宮という地名になったそうです
西改田若宮というと西友がある場所らへんです

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西友 改田店


その東側が東改田再勝遺跡のある場所となります

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東改田再勝

しかしその地元の人によると、現在の若江神社から西へ1kmほど行った教徳寺の周りが、かつて堀のようなものがめぐらされており城のようだったそうです

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教徳寺

東改田再勝遺跡・西改田宮前遺跡、どちらでしょうか?

歴史のロマンですね〜 岐阜県・岐阜市教育委員会の人は知っているのかな?

posted by 塩谷建設株式会社 at 18:43| Comment(0) | 岐阜県岐阜市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

城まにあ 岐阜県岐阜市 粟野城

1966年 大類伸さんが編集した「日本城郭全集7」によると、旧・名鉄高富線の終点駅西側一帯らへんに粟野城という城があったそうです

旧・名鉄高富線は岐阜市長良北町駅から岐阜市と旧・高富町(現・山県市)の境にあった高富駅を結ぶ路面鉄道で、昭和35年(1960)に廃線となりました。
廃線理由は乗客が多すぎて、より多くのお客さんを運べるバスに移行した為だそうです。
最近の廃線理由とはずいぶん違います。時代ですね〜

その旧・高富駅の西側に粟野城はあったそうですが。現在の高富駅跡は
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こんな感じ、岐阜市粟野にある大龍寺近くの旧・高富街道沿いに「かるび庵」という焼肉屋があります。
その裏に・・・

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こんな不自然な形をした道路があります。おそらくここですね

その西側は
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こんな感じで、かつての駅前商店街を思わせます

粟野城は美濃源氏・山県氏の庶流です
源満仲の長男・源頼光流で、頼光とその子・頼国が美濃国の国司をしていた関係で、頼国の6男・国房と5男・頼綱の子・国直が美濃に土着します。国房は土岐氏・木田氏の祖となり、国直は山県氏の祖となったようですね〜

国直の長男に飛騨瀬太郎国成という武将がいて、その次男に粟野次郎国光という武将がおり、この国光が粟野氏の祖となるのです

この粟野国光は承久3年(1221)の承久の乱で幕府側に味方し、同じ源氏の加野次郎を討取ったと言う記録がありますが、その他の人物の記録はほとんどありません。
おそらく土着の豪族となったようですが、地元に粟野さんという苗字の方はいないようです。
時代の流れで苗字が変わったか、離散したのでしょうか


posted by 塩谷建設株式会社 at 11:36| Comment(0) | 岐阜県岐阜市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月03日

城まにあ 岐阜県岐阜市 奥城(奥村城)

岐阜県岐阜市奥というところには「プラザ掛洞」という施設があります
この施設は、ゴミの焼却場からでる熱を利用して温水プールや温泉などを運営し、市民が安い料金で利用できるものです
この施設の南側に広いグランドがあるのですが、ここがかつて奥城という城があった場所なんだそうです

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プラザ掛洞南 グランド

1966年に大類 伸 氏が著した「日本城郭全集7」によると、この城は地元の郷士・村瀬太郎左衛門重則の居城だったようです
村瀬太郎左衛門重則は西美濃三人衆として斉藤道三・織田信長に仕え活躍した稲葉一鉄の臣で、北方合戦の際、敵将・安藤守就を討取ったことで有名です。

北方合戦は、織田信長に仕えていた稲葉一鉄と同じ西美濃三人衆で、その頃武田信玄に内通した疑いで領地を没収され追放されていた安藤守就が天正10年(1982)本能寺の変で織田信長が討死すると、失地回復を図ってかつての居城・北方城に籠ります、しかし安藤守就追放後、北方城を得ていた稲葉一鉄が攻めかかり安藤守就は討取られてしまいます。この時、討取ったのが村瀬重則だったようです

重則は戦後、安藤守就の首を稲葉一徹から引き取って奥城近くの龍峰寺に葬ったそうです
岐阜市奥にある龍峰寺には安藤守就の墓があります

posted by 塩谷建設株式会社 at 17:31| Comment(0) | 岐阜県岐阜市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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