2017年12月18日

城まにあ 岐阜県海津市海津町 内記城


現・海津市海津町内記地区にかつて内記城という城があったそうです

1966年に大類伸さんが著した「日本城郭全集7」によると、築城者は内記平太行遠という人だったと記載されており、内記行遠は永保元年(1074)〜永歴元年(1160)に生存したと伝えられているのでその間に築城したようです

行遠の父・内記平太政遠は「保元物語」「吾妻鏡」「神皇正統記」等に登場する名将であり、青墓長者大炊や源為義の愛妾、鷲巣玄光真遠と兄弟で、鷲巣真遠は平治の乱で敗れ、東国に落ちていく源義朝(源頼朝の父)を内海の長田忠致(源義朝を暗殺した人物)の所まで送り届けた人だそうです


海津市内記地区には城の遺構はありません

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地区内には大きな新明神社があります


部落内の建物は、川沿いだからか立派な石垣があります
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道も細く入り組んでいて、部落全体で敵を防いでいる感じですね
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2017年12月01日

城まにあ 岐阜県大垣市 楽田城

大垣市が昭和43年に編集した「新修大垣市」及び昭和60年に清水春という方が著した「大垣の古城」に、大垣市楽田の八幡神社付近に「楽田城」という城があったそうです

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楽田の八幡神社


 永享(1429〜1440)嘉吉(1441〜1443)の頃、美濃国石津郡高須郷の地頭職であった氏家重国の末裔・氏家志摩守盛国が居城し、嘉吉3年(1443)に盛国が没すると、子の氏家志摩守泰国が城主となったそうです
泰国の後を孫で石津郡牧田城主・氏家行隆の子・氏家常陸介直元(卜全)が入場したが、永禄2年(1559)に大垣城へ移りました
天正3年(1575)に卜全の子・氏家左京亮直重が城主となるが、天正8年(1580)に大垣城へ移ったとされます

慶長5年(1600)の関ケ原の合戦で、一時楽田城跡に西軍の島津隊が布陣したとあるので、この頃には廃城となっていたようです
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