「三塚城址」である石碑があります


まこと幼稚園の石碑
まこと幼稚園の一帯にかつて「三塚城」という城があったことを示しています
昭和60年に清水春一さんが編集した「大垣の古城」によると
天文年間(1532〜1554)氏家常陸介直元(卜全)の家臣で種田信濃守兼久が城主として在城したそうです。
元亀2年(1571)織田信長の伊勢志摩一向一揆攻めに氏家卜全と共に出陣し活躍しましたが敗れ、殿として戦い石津郡大田郷安江村で卜全と共に討ち死にしたそうです
その跡を卜全の嫡子・氏家左京亮直重が大垣城主になり、その弟・氏家内膳正行広が三塚城の城主になりました
天正11年(1583)に氏家直重が伊勢桑原城に移封となるまで在城したそうです