2018年03月16日

城まにあ 岐阜県岐阜市 土居城

岐阜市の北部 環状線沿いに上土居・下土居という地名があります。このあたりにかつて「土居城」という城があったそうです。

土居城のあったと言われている場所は
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現在、環状線沿いにあるユニクロさんや

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そのそばにある公園のあたりです

HP土岐氏調査・研究ノートによると

土居城は観応2年(1351)土岐光定の孫・土居宮内少輔直氏が築城したようです
鎌倉時代より土岐家には伊予(愛媛県)に所領があり、土岐光定の子・土岐頼清が現地に赴いて管理等をしていたようです。その際三男の直氏は伊予・大野(土居)直利の養子となり大野(土居)直氏と名乗りました

元享4年(1324)土岐頼清が病死後、第2代美濃国守護・土岐弾正少輔頼遠が康永元年(1341)に光厳上皇の牛車に矢を射かけた罪で刑死すると、頼清の子・土岐頼康が守護になります。観応元年(1350)美濃国内は頼康の守護就任に反対の土岐一族との戦いである周済の乱が発生し不安定でした。なので、土岐頼康が川手城を築き長森城から守護所を移すと、守護所を守る支城として観応2年(1351)土居(大野)宮内少輔直氏が土居城を築いたようです。

その後、土居直氏は足利義詮のもとで幕府直臣として活躍
延文3年(1358)伊予国司に叙任
延文5年(1360)幕府の命で3千余騎を率いて尾張小川城の小川中務丞を討ち取る
同年、伊予守・伊予守護に任じられました

しかし、その子・土居詮直は康応2年(1390)土岐康行の乱で康行と共に挙兵するも敗れます。
その後、応永6年(1399)大内義弘と呼応し、長森城に立て籠もって謀反を起こすも土岐頼益に攻められ打ち取られてしまいました(応永の乱)

寛正3年(1462)土岐成頼の口利きで日野等四家をして通繁・繁直兄弟を土居城主にして家名を再興させたようです

その後は土岐氏の跡目争いである船田合戦で石丸方の杉山光俊が陣として使用

船田合戦で土岐政房方に土居頼直、斎藤道三と斎藤義龍が戦った長良川の戦いでは斎藤義龍方に土居光宣、織田信長の家臣に土居長頼の名があるので、家名は受け継がれていったようですね。
posted by 塩谷建設株式会社 at 11:44| Comment(2) | 岐阜県岐阜市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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