2014年02月03日

城まにあ 岐阜県羽島市 竹鼻城


攻城戦で水攻めと言えば「備中・高松城」、石田三成が攻めきれなかった「武蔵・忍城」が有名ですが、

なんと、‼

岐阜にも水攻めをされた城があるのですね〜。


それが岐阜県羽島市にある竹鼻城です。✌

CIMG0342.JPG

 竹鼻城は西美濃の有力豪族竹腰氏の居城として竹腰尚隆が応仁年間(1467〜1468)に築城したと案内板や羽島市歴史民族資料館にある資料「竹鼻城物語」に書かれていますが、応仁だと竹腰氏の開祖竹腰重綱でもこの時代ぎりぎりかぶったかどうかですね。竹腰氏は重綱→尚綱→重吉(道鎮)→尚光→尚隆と家督が受け継がれていきます。最初、開祖といわれた竹腰重綱が近江より各務郡岩田(岐阜市岩田)に移って岩田城を築いて居城とします。これは応仁の乱に参加した際、近江大原の豪族・竹腰氏の一族だった竹腰重綱土岐成頼の指揮下に組み込まれ、そのまま美濃までついてきたようです。重綱は生来体が弱かったので直ぐに弟の竹腰尚綱が家督を継ぎ、明応九年(1500)年に大垣城を築いてそこに移ります。その後道鎮が長良川の戦いで討死し尚光が継ぎ、そのあとを尚隆が継いでいます。尚隆の代の時は織田信長が美濃に侵攻し、竹腰氏は竹腰尚隆の時に斉藤氏と共に没落しているので、尚隆が築城したとすれば斎藤義龍・龍興の時代となります。
 さらに、1586年の木曽川大洪水で柳津城が流された際、竹腰氏は既に居城を竹鼻城に移していたので当主・尚隆は助かったという趣旨の記載もあります。
 しかし、別の資料では、井ノ口の戦い(1544年)後斉藤道三が奪還のため大垣城に攻めかかると、織田信秀は竹鼻城を攻めて牽制したと記載があり、この年には竹鼻城は既にあった感じです。
 案内板や「竹鼻城物語」が正しいのであれば、竹腰重綱が近江から移住した際に一族に竹腰伊豆守尚隆と名乗る人物がいたのでしょうか?
 はたまた、尾張国中島郡(現・愛知県稲沢市)には竹腰という地名があったそうです。そこに関係のある美濃・竹腰氏とはまったく関係のない人物なんでしょうか?

  竹腰尚隆の後、文明年代後半(1480〜)に土岐氏の重臣・斉藤氏の一族長井豊後守利隆が城主となります。
 調べていて感じたのですが、この頃の感覚としてすべての城が城主=領主ではないような気がしますね。むしろ主要な城は会社の支店のようなイメージで、城主は守護の代官として赴任し、領地や屋敷としての城は別にある感じです。だから、たとえ竹腰尚隆が竹鼻城を築いても、尚隆に守護から転勤が命ぜられれば新しい赴任先に移動して、竹鼻城には代わりの城主がやってくるのです。戦に関しても豪族レベルでは領土の奪い合いといった感じではなく、自分の一族の地位や立場向上が目的であったようですね。
長井豊後守利隆は明応六年(1497)に加納城に移ったので、その後の利隆の二男・長井隼人正道利が継いだのですが、その後竹鼻城から関城主に移り織田信長の美濃進攻の際には齋藤氏と命運をともにします

 道利の後の竹鼻城は、不破権内綱村が城主となります。一族が不破郡府中城・安八郡西ノ保城の城主も勤めていたので、三城合わせて「美濃の三不破」と呼ばれました。その後1581年に綱村の子・不破源六広綱が改修し居城とします。
 1584年に小牧長久手の戦いが起こると、広綱は織田信雄側につき籠城するのですね。小牧・長久手で奇襲がばれ、三好秀次率いる奇襲部隊が大打撃をこうむると、羽柴秀吉はその腹いせに美濃・加賀野井城のに籠る2,000の兵力を10万の大軍でせん滅するという大人げない八つ当たりをします。💧
 それでも怒りの治まらない秀吉は今度は隣の竹鼻城を水攻めにするのですね〜😞

とばっちりです😵


結果、不破広綱は落ち延び、代わりに秀吉の家臣・一柳直末が入ります。一柳が大垣城に知行換えになると、池田恒興の家臣・伊木忠次、その後同家臣・森寺清右衛門がはいります。池田氏が知行替えになり、織田信長の孫・織田秀信が美濃の国主となると、その家臣・杉浦重勝が城主となります。

秀吉が死に、徳川家康石田三成による天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」が起こると、織田秀信は石田側につき、戻ってきた東軍を先鋒部隊として迎え撃ちます。東軍側は軍を二手に分けて、一方は池田輝政・浅野幸長らが直接岐阜城を攻めるために河田の渡しに進みます。
もう1隊は福島正則・細川忠興・黒田長政らが16,000の軍で竹鼻城に攻めかかりました。重勝は木曽川沿いで陣を構え、援軍の毛利広盛らとよく防いだのですが、旧加賀野井城(この時すでに廃城となっていた)から渡河を許すと、竹鼻城に押し込まれ、毛利広盛らの寝返りもあり竹鼻城は落城。重盛は竹鼻城に火を放って自害し、竹鼻城は廃城となりました。😖


現在は羽島市の民俗資料館となってます
CIMG0341.JPG




posted by 塩谷建設株式会社 at 17:04| Comment(2) | 岐阜県羽島市・羽島郡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
八神城で書こうかと思いましたが、やはりこちらで。
羽島市正木町不破一色に「不破医院」というお医者さんがあります。
そうです、竹鼻城主 不破源六広綱の末裔ですw
こちらのHPで確認出来ますw
http://www.fuwaiin.com/index.htm

これによると、先生は13代だそうです。

因みに、この集落は不破一色村と言いましたが、昔は一色村でした。一色村とは、昔、お寺の荘園だった所を呼ぶそうですね。
不破氏が住み着いた事で不破一色村になったそうです。
Posted by ソレックス at 2017年05月29日 21:57
お返事遅くなり、大変申し訳ありません

拝見しました、不破広綱の直系の方がまだ羽島にみえるのには感動ですね
ありがとうございました
Posted by えんスぺ at 2017年07月21日 13:42
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。