2017年03月01日

城まにあ 岐阜県大垣市 曽根城

岐阜県大垣市の北部に曽根町という地域があります
そこにある、華渓寺というお寺がかつての曽根城であったようです


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華渓寺


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正門前に城址を示す石碑があります

昭和43年に大垣市が編纂した「新修大垣市史」によると、築城者は稲葉伊予守良通(一鉄)が元禄元年(1558)に築城したとありますが、大垣市教育委員会が立てた現地看板には稲葉良通の祖父・稲葉通冨が創建したとあります

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現地案内板

他の書籍でも、稲葉一鉄が築城したと書かれているものが多いと感じます。
そこで勝手な推察ですが、稲葉一鉄は、大永5年(1525)に起った牧田合戦(近江・小谷城主 浅井亮政が美濃に大規模進攻し、土岐頼芸が迎え撃った戦い。結果引き分け)で父・稲葉通則と5人の兄弟が全員討死してしまい急遽家督を継ぎました。しかし、当時一鉄は11歳でしたので祖父の稲葉通冨と叔父の稲葉忠通が後見をしたそうです。その際、祖父・稲葉通冨が一鉄の為に屋敷のようなものを建てたのではないでしょうか。また、稲葉通富は元々伊予(現・愛媛県)の名家 河野氏の一族で、武者修行で各地を巡り美濃を訪れた際、土岐成頼が客遇したためそのまま土着し稲葉姓を名乗った(養子縁組した?)そうです。案内板の創建とはその意味かもしれませんね。
 資料では曽根城は永禄元年(1558)に稲葉良通(一鉄)が築城したとあります。一鉄が44歳頃の時なので、祖父に建ててもらったというのは考えにくく、後見していたので資料が錯誤したか、もともと通冨の立てた屋敷があったと考えられますね。 あくまで推測ですが・・・

 永禄元年(1558)に曽根城を築城し、美濃斉藤家に従い西美濃三人衆といわれるまで勢力を拡大した稲葉一鉄ですが、永禄10年(1567)に織田信長に味方し,信長の美濃攻略に加勢します。その後、観音寺城の戦い、姉川の戦いをはじめ織田軍の主要な戦いに参加し戦功をあげ、約五万石を領すまでになります。
 天正7年(1575)稲葉一鉄は息子・稲葉右京亮貞通に家督と曽根城を譲り自身は美濃清水城へ移ります。さらに天正10年(1882)には貞通がその子・稲葉侍従典通に曽根城を譲ります
 天正16年(1588)稲葉家が郡上八幡城へ国替えになると、西尾豊後守光教が城主になり2万石を領します。慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で西尾光教は東軍に味方して美濃の先導役をし、戦後その功により揖斐城を与えられ3万石の領主として揖斐城主となり、揖斐陣屋を造って移ります。そのため曽根城は慶長6年(1601)廃城となりました

この城は、春日の局の父である斉藤利三が明智光秀に仕える前にいた城としても有名で、隣に斉藤利三の屋敷跡が残っていますね



 


posted by 塩谷建設株式会社 at 07:55| Comment(0) | 岐阜県大垣市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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