2017年04月11日

城まにあ 岐阜市 瑞龍寺城(上加納城)

岐阜城がそびえる金華山の南に、瑞龍寺山という山があります

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水道山・上加納山ともいわれますが、かつてその山にはお城があったようです

大類伸さんが1966年に著した「日本の城郭全集7」には、
土岐政権時代(1445〜1497)の城が「上加納城」、斎藤政権以後(1565頃)の城を「瑞龍寺山城」と分けて記載されています。

 上加納城は文永2年(1445)第7代美濃国守護・土岐持益の執権であった斎藤帯刀左衛門尉利永が、下加納城の対の城としてこの地に初めて城を築いたそうです。そして、利永の子で第8代美濃国守護・土岐成頼の執権であった斎藤越前守利藤、その子・斎藤新四郎利国、その弟・斎藤豊後守利隆まで代々居城したそうです。中でも、第9代美濃国守護・土岐政房、第10代美濃国守護・土岐頼武、第11代美濃国守護・土岐頼芸といった3代の執権を務めた斎藤豊後守利隆は、斎藤利国の嫡孫・斎藤新四郎利良が幼少であったため、明応6年(1497)に竹鼻城より移り住んだという記録もあります
 その後、天文4年(1535)頃、第11代守護・土岐頼芸が大桑城に守護所を移したので廃城となったようです。

 その後、斎藤道三が美濃の国主になり稲葉山城を居城にすると、南方防備のために瑞龍寺山に城を築きます。それを日本の城郭全集7では「瑞龍寺城」としています。
 「信長公記」には、永禄7年(1565)に織田信長が稲葉山城の斎藤竜興を責める際、「井ノ口山のつづき、瑞龍山へ駆け上られ候」と記載されています。西美濃三人衆が織田方に寝返った法を伊勢で聞いた織田信長は、疾風のような速さで美濃に攻め込み瑞龍寺城を落として拠点としたと書かれています。
 また、慶長5年(1600)関ケ原の合戦の前哨戦で、福島正則・黒田長政ら東軍の先方隊が岐阜城の織田秀信を責めた際は、秀信救援の為援軍で来ていた石田三成の臣・柏原彦右衛門が守っていましたが、浅野幸長に攻め落とされたそうです
戦後、徳川家康は岐阜城を廃し、加納城を築城したのでそのころ廃城となったと思われます

瑞龍寺山はそんなに高くない山です。登り口はいろいろありますが、南西の公園からも登山できます
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遊歩道のような登山道

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登山道は整備されています

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知っている人には懐かしい、リフト乗り場跡です

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頂上には展望台になっています。車でも行けますよ
posted by 塩谷建設株式会社 at 10:52| Comment(0) | 岐阜県岐阜市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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