2018年01月18日

城まにあ 岐阜県大垣市 加賀野城

大垣市の東部、国道21号線の南側に大垣市加賀野という地名があります
そこにある八幡神社(加賀野1丁目)がかつての加賀野城址だそうです

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八幡神社(大垣市加賀野1丁目)


加賀野城は後藤氏の居城だったそうです

昭和60年に清水春一氏によって編纂された「大垣の古城」によると、後藤氏の祖は後藤五郎左衛門基直で、美濃国守護・土岐氏に仕えて世安庄を領し以後
世安判官俊基→左衛門氏直→加賀守盛直→佐渡守直政→左衛門祐政→史郎兵衛祐乗→佐渡判官高政→右京高次→直次→直泰と続きました

中でも、後藤左衛門祐政は応永の頃(1394〜1427)土岐頼政が土岐頼益に攻められ屈服したあと、流浪の身となったそうです
後藤家を継いだ子の後藤四郎兵衛祐乗は、室町幕府8代将軍・足利義政に仕え、京都で刀装金具の彫刻を業にして活躍し高く評価されたが、後に加賀野に帰って永正9年(1512)没しました
祐乗の子・佐渡判官高政は10代将軍・足利義稙に仕え、その子・後藤右京高次は斎藤義龍に仕え弘治2年(1556)長良川の戦いで功があり、本巣郡北方の地を給せられたので、その地に砦を築いて移り住み、加賀野城は家臣の日比大三郎を入れ留守を守らせました
しかし、永禄4年(1561)三塚城の種田信濃守が大垣城主・氏家卜全に従って加賀野城を責めたので、後藤高次は家臣の河村・片山・安田・小倉・野田らと防戦したが落城。後藤高次は自刃。その子・直次は尾張に逃げ、織田信長に仕えたそうです


posted by 塩谷建設株式会社 at 17:48| Comment(0) | 岐阜県大垣市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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