2016年05月21日

城まにあ 岐阜県羽島市 大浦城(大浦の寺砦)

岐阜県羽島市正木町大浦新田付近に大浦城という城があったそうです

昭和39年に羽島市役所が発行した「羽島市史」によると、大浦城は普段は寺院だが戦の際に砦に利用された寺砦だったそうです
住僧は戸嶋東蔵坊という名前が記録に残っています。

 弘治2年(1556)美濃の蝮・斉藤道三を息子・斉藤義龍が討った 長良川の戦いの際、斉藤道三の加勢に来た織田信長が陣所としました。その際、斉藤義龍軍が攻めてきて大浦城が落城するとき、ここの姫が家宝であった金矮鶏(きんちゃぼ)を抱いて井戸に身を投じたという伝説があります(落ちてきた若武者と娘が恋に落ちたが、若武者が落ち武者狩りで娘の父親たちに殺されると、悲しんだ娘は家宝の金矮鶏を抱いて井戸に身を投げたという説もある)その後、この城跡では毎年元旦の早朝に矮鶏の鳴き声が三回聞こえたと伝わります

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現在、城跡には金矮鶏神社が建てられています。
 
 天正12年(1584)羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康が戦った小牧長久手の戦いでは、羽柴秀吉が長久手の戦線で奇襲を見破られ大敗を期した後、攻撃の矛先を徳川家康の岡崎城から織田信雄の長島城に変更する為、犬山城の戦線を抜け出して大浦城に入り2日間作戦を練ったそうです。その後加賀野井城を攻める際、羽柴秀吉が一両日滞在し、竹鼻城の備えに羽柴秀勝・一柳直末・伊藤牛之助など300騎で守らせたそうです。

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現在の大浦の寺砦跡、現在は金矮鶏神社と地元のお祭り道具が入っている蔵が建っていますね


posted by 塩谷建設株式会社 at 16:46| Comment(0) | 岐阜県羽島市・羽島郡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

城まにあ 岐阜県羽島市 東方城

昭和39年に羽島市役所が発行した「羽島市史」によると、
岐阜県羽島市に東方城という城があったようです
どこにあったのかは桑原としか書かれていないのですが、
羽島市桑原町東方という地名があり、どうもこのあたりではないかと思われます。

桑原町東方は水郷ハナミズキ街道の北、国土交通省長良川第二出張所の北側の一体です
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こんなかんじで堤防沿いに南北に長い地域で、見渡す限りほぼ平坦な田園ですね

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そんな中で小さな集落があり、その中心が他より少し高い土地になっていて、正明寺というお寺があります
今までのパターンで城跡は集落の少し高い区域にあることが多いのでここでしょうか?
または、川沿いの地域の良くある「現在は川の中」というパターンでしょうか?

桑原町東方は毛利氏の居城・八神城のすぐ東に位置しており、八神城の支城・石田城とも近いので毛利氏に関係の深い城だったのでしょうか

分かりませんね〜

東方城の記録としては、
羽島市桑原町大須にある 「真福寺」の古文書中に記録されている、寛正三年(1462)の土地の売渡証に東方雅楽亮の名が出てきます。
また、天文5年(1536)土地の寄進状の隣地を東方河内が所有していたとの記載があり、天正14年(1545)の土地の寄進状にも東方三郎の名前が記載されています

他にも天正12年(1584)小牧長久手の戦い羽柴秀吉竹鼻城を水攻めにした戦いの前に、竹鼻城主・不破源六の子息・不破長三郎を人質として織田信雄に引き渡す時の護衛として東方長兵衛の名前があります。

小牧長久手の戦いで、八神城・毛利氏は最初織田信雄に味方していましたので、やはり毛利氏の関係だったのでしょうか、それとも竹鼻城・不破氏の家臣だったのでしょうか、はたまた独立した豪族だったのでしょうか

わかりません 今後の研究を要しますね〜
posted by 塩谷建設株式会社 at 20:43| Comment(0) | 岐阜県羽島市・羽島郡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

城まにあ 岐阜県羽島市 下之城

昭和39年に羽島市役所が編集した「羽島市史」によると
羽島市竹鼻町下城町にある義明寺付近に下之城という城があったそうです

そこで義明寺を訪ねてみました

義明寺・・・
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あれっ?無い

解体されて無くなっとる・・・


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しかも奥にある西岸寺の駐車場っぽくなっとる

下之城は竹鼻城を上之城として、その曲輪もしくは支城的な役割をしていたようです

「尾濃葉栗見聞集」には名倉掃部居が鉄砲隊で守っていたとの記載があります

「竹ヶ鼻守城録」には天正12年(1584)羽柴秀吉徳川家康・織田信雄(織田信長の次男)が戦った小牧長久手の戦いで、羽柴軍が徳川家康の居城である岡崎城への奇襲を見破られて大敗すると、今度は織田信雄の本拠地である尾張へ進攻します。加賀野井城を10万の大軍で一蹴した後、信雄の重臣・不破広綱が守る竹鼻城水攻めにしたのですが、その際織田方の下之城では300人程度の兵が謀反を起こしたそうです。そのため、竹鼻城中から、中野喜助・花房半右衛門・河村五右衛門が兵800で鎮圧に向かったのですが、反乱軍の鉄砲隊で中野喜助が討死したそうです

この鉄砲隊は名倉掃部居でしょうか?

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義明寺の跡地周辺には、城っぽい感じの風景がありますね

posted by 塩谷建設株式会社 at 00:24| Comment(0) | 岐阜県羽島市・羽島郡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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