2015年02月19日

城まにあ【織田信長美濃攻略編18】岐阜県関市 関城


岐阜県関市山の手に安桜山という山があり、そこにかつて関城という城があったそうです

平成8年に関市から発行された「関市史」によると、関城は享保元年(1528)に長井長弘が築いたと伝えられています。

長井長弘は美濃の小守護代で、油商人であった松波庄五郎(斉藤道三の父)を家臣とし、家老の西村家を継がせて西村勘九郎と名のらせた人物です。その後、土岐頼武と土岐頼芸が美濃国守護の後継者争いを起こすと頼芸を推して合戦を起こし、頼武を越前に追い出しました。しかし、土岐頼芸が美濃国守護になった後、天文3年(1533)に養子にしていた長井規秀(後の斉藤道三)に謀殺さてしまいます。

長井長弘を殺して長井家を継いだ長井規秀は、美濃国守護になった土岐頼芸によって守護代・斉藤家を継いで守護代となって稲葉山城へ移ったため、長井家は嫡子(斉藤義龍が生まれてから庶子扱いとなった)で竹鼻城主だった長井隼人正道利が継ぎ関城にはいります。

その後、斉藤道三が土岐頼芸を追放し美濃を奪うのですが、道三が国主になっても長井道利は重用されませんでした。斉藤道三と嫡男・斉藤義龍が不仲になると義龍に近づき、弟・孫四郎、喜平次の暗殺を提言します。弘治2年(1556)に起こった斉藤道三と息子・斉藤義龍が戦った長良川の戦いでは義龍側で活躍しましたが、次第に義龍から危険視されて遠ざけられてしまいます。

永禄4年(1561)斉藤義龍が死に子の斉藤龍興の代になってようやく家老となり中濃・東濃に勢力があったこともあって斉藤軍の東方面軍を指揮します。織田信長の東濃進攻が始まると、木下藤吉郎軍に攻められていた鵜沼城を救援し、木下藤吉郎が命からがら逃げたといわれています
伊木山城・鵜沼城・猿啄城が次々に攻略されると、近郊の加治田城・佐藤忠能と堂洞城・岸信周と対織田信長の盟約を結ぶと共に、佐藤忠能の娘を岸信周の息子に嫁がせ結束させた。しかし、織田信長が堂洞城に攻めかかると佐藤忠能が裏切ったため堂洞城は落城。長井道利は援軍に向かったが織田信長本隊に阻まれて近づけませんでした。

その後、斉藤龍興の援軍を加えて加治田城へ攻めかかるも逆に押し返されて関城は落城、長井道利は稲葉山城へ退去し関城は廃城となりました。



関城は安桜山にあり、現在は整備されて安桜公園になっています

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登山道は整備されています


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途中にはこんな休憩所や

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なんじゃこりゃ? これはなんでしょう?ハウルの城でしょうか?

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ようやく頂上です
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頂上には神社がありますね 修験道の霊場となっていたようですね
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頂上からの景色 関の街がきれいですね
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posted by 塩谷建設株式会社 at 20:40| Comment(0) | 岐阜県関市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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