2018年02月26日

城まにあ 岐阜県大垣市 三塚城

岐阜県大垣市三塚町にある「まこと幼稚園」の敷地内に
「三塚城址」である石碑があります

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まこと幼稚園の石碑

まこと幼稚園の一帯にかつて「三塚城」という城があったことを示しています

昭和60年に清水春一さんが編集した「大垣の古城」によると

天文年間(1532〜1554)氏家常陸介直元(卜全)の家臣で種田信濃守兼久が城主として在城したそうです。
元亀2年(1571)織田信長の伊勢志摩一向一揆攻めに氏家卜全と共に出陣し活躍しましたが敗れ、殿として戦い石津郡大田郷安江村で卜全と共に討ち死にしたそうです
その跡を卜全の嫡子・氏家左京亮直重が大垣城主になり、その弟・氏家内膳正行広が三塚城の城主になりました
天正11年(1583)に氏家直重が伊勢桑原城に移封となるまで在城したそうです
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2018年01月18日

城まにあ 岐阜県大垣市 加賀野城

大垣市の東部、国道21号線の南側に大垣市加賀野という地名があります
そこにある八幡神社(加賀野1丁目)がかつての加賀野城址だそうです

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八幡神社(大垣市加賀野1丁目)


加賀野城は後藤氏の居城だったそうです

昭和60年に清水春一氏によって編纂された「大垣の古城」によると、後藤氏の祖は後藤五郎左衛門基直で、美濃国守護・土岐氏に仕えて世安庄を領し以後
世安判官俊基→左衛門氏直→加賀守盛直→佐渡守直政→左衛門祐政→史郎兵衛祐乗→佐渡判官高政→右京高次→直次→直泰と続きました

中でも、後藤左衛門祐政は応永の頃(1394〜1427)土岐頼政が土岐頼益に攻められ屈服したあと、流浪の身となったそうです
後藤家を継いだ子の後藤四郎兵衛祐乗は、室町幕府8代将軍・足利義政に仕え、京都で刀装金具の彫刻を業にして活躍し高く評価されたが、後に加賀野に帰って永正9年(1512)没しました
祐乗の子・佐渡判官高政は10代将軍・足利義稙に仕え、その子・後藤右京高次は斎藤義龍に仕え弘治2年(1556)長良川の戦いで功があり、本巣郡北方の地を給せられたので、その地に砦を築いて移り住み、加賀野城は家臣の日比大三郎を入れ留守を守らせました
しかし、永禄4年(1561)三塚城の種田信濃守が大垣城主・氏家卜全に従って加賀野城を責めたので、後藤高次は家臣の河村・片山・安田・小倉・野田らと防戦したが落城。後藤高次は自刃。その子・直次は尾張に逃げ、織田信長に仕えたそうです


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2017年12月18日

城まにあ 岐阜県海津市海津町 内記城


現・海津市海津町内記地区にかつて内記城という城があったそうです

1966年に大類伸さんが著した「日本城郭全集7」によると、築城者は内記平太行遠という人だったと記載されており、内記行遠は永保元年(1074)〜永歴元年(1160)に生存したと伝えられているのでその間に築城したようです

行遠の父・内記平太政遠は「保元物語」「吾妻鏡」「神皇正統記」等に登場する名将であり、青墓長者大炊や源為義の愛妾、鷲巣玄光真遠と兄弟で、鷲巣真遠は平治の乱で敗れ、東国に落ちていく源義朝(源頼朝の父)を内海の長田忠致(源義朝を暗殺した人物)の所まで送り届けた人だそうです


海津市内記地区には城の遺構はありません

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地区内には大きな新明神社があります


部落内の建物は、川沿いだからか立派な石垣があります
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道も細く入り組んでいて、部落全体で敵を防いでいる感じですね
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