2017年12月01日

城まにあ 岐阜県大垣市 楽田城

大垣市が昭和43年に編集した「新修大垣市」及び昭和60年に清水春という方が著した「大垣の古城」に、大垣市楽田の八幡神社付近に「楽田城」という城があったそうです

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楽田の八幡神社


 永享(1429〜1440)嘉吉(1441〜1443)の頃、美濃国石津郡高須郷の地頭職であった氏家重国の末裔・氏家志摩守盛国が居城し、嘉吉3年(1443)に盛国が没すると、子の氏家志摩守泰国が城主となったそうです
泰国の後を孫で石津郡牧田城主・氏家行隆の子・氏家常陸介直元(卜全)が入場したが、永禄2年(1559)に大垣城へ移りました
天正3年(1575)に卜全の子・氏家左京亮直重が城主となるが、天正8年(1580)に大垣城へ移ったとされます

慶長5年(1600)の関ケ原の合戦で、一時楽田城跡に西軍の島津隊が布陣したとあるので、この頃には廃城となっていたようです
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2017年09月20日

城まにあ 岐阜市 曾我屋城

1966年 大類伸さんが著した「日本城郭全集7」及び昭和61年 岐阜市合渡広報連合会が編集した「岐阜市合渡の歴史」によると、岐阜市曽我屋にはかつて曾我屋城という城があり、土岐氏の支流である曾我屋氏が居たそうです。

両文献によると、曾我屋城は曾我屋六郎頼久が築城したそうです。
頼久は、第6代美濃国守護・土岐頼益の弟・土岐頼名の子・池田刑部少輔益忠の弟だったそうで、のちに土岐頼益の養子になったそうです。

頼久の後は子の曾我屋治部少輔益世が継ぎ、その後を曾我屋民部少輔益豊、さらにその後を子の曾我屋少輔頼豊が継いだそうです
また、弘治2年(1556年)の長良川の戦いで斎藤義龍方に曾我屋内蔵丞家治の名前があったので、土岐家が失脚しても無事に存在していたようです

築城時期ですが、2代目の曾我屋益世が文安元年(1444年)に垂井で戦死しているので、おそらく永享・嘉吉の頃(1429〜1444)ではないかと考えられています


場所ですが、岐阜市立岐阜西中の南に土岐家の守り神・八幡神社があります
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そこにある石碑には、下水処理場の設置の為移転した旨が書かれていました
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おそらく現在の北西部下水処理場近辺にあったのではなかったでしょうか?


合渡公民館のHPに
「津神社が織田信長の美濃平定の際、曾我屋城と間違われて落とされた」と記載されています
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津神社
確かに津神社は参道が今の合渡小の西まであったらしく、かなりデカかったようですが・・・

間違われてしまうということは、曾我屋城は津神社より・・・(;´д`)両者ともトホホですね
posted by 塩谷建設株式会社 at 18:09| Comment(0) | 岐阜県岐阜市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

城まにあ 岐阜県山県市 佐野城

大類伸 氏が1966年に著した「日本城郭全集7」によると、山県市の旧・美山地区にある佐野という地域の山沿いに貴船神社があるのですが、その北の山に佐野城という城があったそうです

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佐野地区の貴船神社

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貴船神社

「日本城郭全集7」によると
この城は、土岐氏の臣・高瀬六郎左衛門が住んでいたそうです
天文4年(1535)頃、土岐氏が本拠を大桑城に移した際、家臣の多くが佐野村に住んだとされているのでその頃築城されたのではないかと考えられています

高瀬氏の子孫は佐野村民となり、現在は早川氏を名乗っているそうです

posted by 塩谷建設株式会社 at 09:23| Comment(0) | 岐阜県山県市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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